細川若狭守下屋敷跡(墨田区吾妻橋)アサヒビールヘッドクォーター
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mixiコメント 2013年08月12日 09:29
●細川若狭守――
高瀬細川家(熊本新田藩細川家)・肥後細川家(熊本藩細川家)分家
1、利重、従五位下・若狭守
熊本藩細川家3代 光尚次男。
寛文6(1666)年、本家4代 綱利(長兄)より熊本藩蔵米3万5千石を分与され立藩。
江戸鉄砲洲に住み、参勤交代を行わない定府大名だった。
2、利昌、従五位下・采女正
3、利恭(としやす)、従五位下・備後守
4、利寛(としひろ)、従五位下・采女正、若狭守
5、利致(としゆき)、従五位下・若狭守
6、利庸(としつね)、従五位下・能登守
7、利国
8、利愛(としちか)、従五位下・采女正
9、利用(としもち)、従五位下・能登守
10、利永、従五位下・若狭守、子爵
慶応4(1868)年、明治維新。仮藩庁を高瀬町奉行所(玉名市)に置き、高瀬藩と改称。
明治3(1870)年、玉名郡岩崎村(現 玉名市)に正規の陣屋が完成し移る。しかし同年、熊本藩に合併し廃藩となった。
アルバム: 東京都4墨田区/武州江戸
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