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土屋采女正下屋敷跡(江東区森下)

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Photos: 土屋采女正下屋敷跡(江東区森下)

Photos: 土屋采女正下屋敷跡(江東区森下) Photos: 細川若狭守下屋敷跡(江東区森下)

北西角より北面。



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2013年08月14日 16:59

●土屋采女正――
土屋土浦家・土浦藩土屋家、土屋家分家

1、数直、従五位下・大和守、従四位下・但馬守・侍従
久留里藩初代 土屋忠直次男。
慶長13(1608)年生まれ。
元和2(1616)年、2代秀忠に拝謁。
元和5(1619)年、秀忠命で家光に仕える。
元和8(1622)年、家光近習。
寛永元(1624)年、500俵。
同年12月28日、従五位下・大和守。
寛永5(1628)年、上総国200石。
寛永9(1632)年、進物番。
寛永10(1633)年2月、常陸に200石。
寛永18(1641)年7月、書院番組頭のち駿府城番。
慶安元(1648)年10月、小姓組番頭。
慶安4(1651)年11月、1000俵加増。
承応2(1653)年9月、久世広之・牧野親成と共に4代家綱側衆。
明暦2(1656)年12月、2000俵。
明暦3(1657)年12月、常陸国宍戸に1300石。
寛文2(1662)年2月、計1万石へ都合され若年寄に。
寛文4(1664)年6月、5000石加増。
寛文5(1665)年12月、老中。
文治政治に取り組む。
寛文6(1666)年7月、2万石加増。
寛文9(1669)年6月、1万石加増。計4万5000石。
寛文10(1670)年12月、侍従。
寛文11(1671)年、伊達騒動の当事者達を召喚、審問。
延宝7(1679)年4月2日、死去(72)。

※土屋忠直――
武田家譜代家老 土屋昌恒長男。
(勝頼公に殉じた、“片手千人斬り”の伝説を残す武将。)
天正10(1582)年、天目山合戦の年に生まれた。甲州征伐から母に連れられ駿河国清見寺に逃亡していた。
やがて家康に召し出され、秀忠の小姓となる。「忠」の字は秀忠の偏諱。
天正19(1591)年、相模に3000石を与えられる。
慶長7(1602)年、上総国久留里2万石を与えられ、大名となった。
慶長17(1612)年3月24日、死去(31)。
こちらが宗家。本家。嫡流。
――2代 利直。
――3代 直樹。
延宝7(1679)年、狂気を理由に改易。
しかし、祖先の功績を考慮され、長男 逵直が遠江国に3000石を与えられて、旗本として存続した。百官名は佐渡。


2、政直、従五位下・能登守、相模守、従四位下・侍従
嫡男。
→ 駿河国田中藩 →常陸国土浦藩
3、陳直(のぶなお)、従五位下・左京亮、但馬守
政直4男。
4、篤直(あつなお)、従五位下・能登守
次男。
5、寿直(ひさなお)、従五位下・相模守
嫡男。
6、泰直、従五位下・能登守
篤直次男。
7、英直、従五位下・但馬守
篤直3男。
8、寛直(ひろなお)
嫡男。

9、彦直(よしなお)、従五位下・相模守
――6代水戸治保3男。
10、寅直(ともなお)、従四位下・采女正、従四位下、正四位、従三位、正三位
嫡男。水戸斉昭は従兄。
11、挙直(しげなお)、従五位下・相模守、正五位、従四位、正四位
――9代水戸斉昭17男。

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